湊かなえ著書『母性』。
シンプルな中に温もりも感じられるタイトル。しかし、ページをめくるたびにそんなあたたかな言葉の
イメージが次々に崩れていった、衝撃の1冊。ぜひすべての母親に読んでほしい。
※以下ネタバレを含む
母性とは何か?一般的には母親になれば当たり前に備わるもの、子どもを守り育てる本能といわれるが。
はたして本当にそれだけだろうか。
母性は、母親になれば誰でも自然に芽生えるのだろうか。もしくは母性がないからイライラしてあたってしまったり、自分はだめな母親だと責めたりしてしまうのか。そんな小さな疑問から物語がはじまる。
『母性』には、3人の母親が登場する3人の母親。実の母と、姑。そして主人公の“わたし”もまた娘をもつ一人の母親である。
この物語は、その”わたし”と娘の視点から展開し、同じ体験でも双方の感じ方の違いに深く考えさせられる。
”わたし”の回想:
”わたし”も母親も姑も性格はまるで違うものの、それぞれ子を愛するという母性が備わっていた、
はずだった。
実母は、娘である”わたし”を子どものころから賞賛し、いつも笑顔でいてくれた。
“わたし”も期待にこたえようと、喜びそうな行動や言葉を選び、母の好きな物は“わたし”も好きと
いう。結婚も母が気に入ってくれた人と結婚もして、幸せだった。
“わたし”に娘が生まれ、会話ができるようになると、実母に喜んでもらいたくて「おばあちゃま
嬉しそうだった。」と伝えた。そして娘が母の笑顔をくもらせるような発言は、すぐに正した。
ここから“わたし”が最愛の母を突然の事故で亡くし、わずかだった違和感が大きくゆがんでいく。
娘の回想:
母はいつも私にきれいな洋服を着せ、「おばあちゃまに恥をかかせないような行動をしなさい。」
「人が喜ぶような、特におばあちゃまが何を言ってもらいたいかよく考えて発言しなさい。」と
教えた。
娘である自分を愛しているわけ訳ではなく、母が祖母にもっと愛されようとしての行動だった。
そして娘は、祖母を亡くした事故の真相が明らかになり、自殺未遂を起こしてしまう。
母である“わたし”は、なぜ心から娘を愛していたのに自殺なんて、という。
娘は母に一度も愛されたこと事がはない。今までの子育ても体裁を保つためだったという。
もう一人の母親である姑にも娘がいて、かわいがるがあまり過保護に育てていた。娘は厚かましく感じたのか、母親の気持ちを考えず駆け落ちしてしまった。
嫁の“わたし”に対しては、高熱があっても畑仕事や家事のほとんどをさせていたが、文句を
一切言わずこらえていた。
それぞれの母親の不完全で未熟な面が後半になるにつれてエスカレートしていく。
子ども供に対する執着、過保護、無関心、コントロール、体裁のため。
最初は小さなきっかけから広がっていくが、“わたし”が娘を手にかけてしまいそうになるくらい
ひどい母親なんて、めったにいないと思うかもしれない。
筆者が思う最初の母性は、生まれたての頃。
寝ていても子ども供の泣き声で目を覚ます、体調の変化に敏感、母親の抱っこで泣き止むなど動物的な本能で感じられる。
男性にはそういった特性が備わっていないため、就寝中は泣き声に気が付かないというのはよく耳にする。
その後子どもに自我が芽生えたとき、新たな壁にぶつかる。
子どもが人前にでても恥をかかないようないようマナーやしつけを。
身体によい食べ物を。
きちんとした身なりを。
生活リズムを整えよう。
しっかりと運動を。
困っている人がいたら助けよう。
人に優しくしよう。
子どものために正しさを教えようと奮闘するが、子どもだって素直に従うロボットではない。
母親の思い通りにはいかないし、その子のためを思っての言動がことごとく打ち砕かれて
いく。
さらに追い打ちをかけるように、電車で騒げば「しつけがなっていない」だとか、
平均より体重が少なければバランスよく食べさせろとか。
母親の気持ちを置き去りに正しさだけを押し付ける世の中。
「母親なんだからしっかりしないと、みんなやっているのだから。」
何気ない一言が母親たちを苦しめていることに早く気づいてほしい。
この本の母親たちも現実の母親たちも、世間から正しさを押し付けられ、本能的に備わっていた
母性という特質が気づかないうちに小さくなっていってしまったのではないだろうか。
私自身も母親を尊敬しているが、わだかまりの残るできごともある。
ただ、母も一人の人間であり、精神面では未熟な状態で子育てをしていた。そして子どもとともに成長していく。
私自身が母になり、娘を育てていくなかで今になって母の気持ちもわかる。
母親が幸せを感じられるのは育児の辛さ、悲しさ、孤独さに耐え、成長した子どもから
感謝と許しが伝わったときなのではないだろうか。
毎年訪れる自分の誕生日には産んでくれてありがとう、と伝えよう、
自身の身体・時間を犠牲にしながら育ててくれたこの命を大切にしよう。そう思えたとき、
間違いなく母から愛されていたし、母を愛しているということに気づいた。
大切なのは気づくこと。
物語の“わたし”の母は理想の母親だったが、娘の“わたし”がもっと愛されようと自分の気持ちにふたをしていたことに気づけなかった。そんなことをしなくても愛されていたのに。
その“わたし”は母に愛されることばかり考えて娘を道具にした。
ただ純粋に愛し方を間違えてしまった。
心の底から愛してくれたその感謝の気持ちが伝わって初めて、完全な母性というものを母親が感じられるのではないだろうか。
無理しすぎなくていい。
頑張りすぎなくていい。
弱音を吐いてもいい。
ただまっすぐ子ども供と向き合えたらそれだけでいい。母親なんだから。
この本は大切なことに気づかせてくれた。