正論を言われるのがつらい。そう思ったことはないだろうか。
「離婚したい。」勇気を振り絞って相談したのに、子供がかわいそう。もう少し考えたら?両親がお互い尊重しあって、相談しあって、向き合って・・・。そんなのわかっている。正しい。大いに正しいことはわかりきっている。DV、モラハラ、浮気など明らかな問題がない限り同じ返答だろう。
正解がわかっているのにできないから苦しいんじゃないの。「瘦せたい」に対して「食べなければ痩せるよ。毎日運動したら?」「学校に行きたくない」と言えば「学校行ったら楽しいよ!勉強はしておいたほうがいいよ。」それができたらとっくに解決してるって本人が一番わかっているでしょう?
結論からいうと、最後に決断するという判断材料は自分の心のみ。自身の周囲はたくさんの情報であふれかえっているため、大切な言葉だけ吸い上げて前に進むこと。
正論発信者は正しいことを言って無意識に自分を守っている。責任を取りたくないから。
離婚したいという相談に、そうするべきとアドバイスしたら相談者が離婚しない方がよかったと後悔している。もしそうなったときに自分のせいだと罪悪感を感じたくない。だから大半の人が意見するであろう言葉をかける。世間一般から見て、安全な道、正しい方向。
相談者はますます“自分さえ我慢すれば、みんな同じように苦しいんだから”と殻に閉じこもってしまう。そして身近な人に話せずSNSやチャットなど顔の見えないたくさんの人に気軽に相談するが、彼らはもっと責任を負えない。真面目に他人の意見をすべて受け止めてしまわないように。
あなたのために言っているという声はなおさら聞かないように。正しさを押し付けてコントロールしようとしている。もちろん本人もコントロールしようなんて微塵も思っていなくて親身になって答えているから悪く思ってもいけない。一つの意見として頭の片隅にでも置く、くらいの姿勢で。
では誰のどういった意見を聞いたらよいのか。
否定も肯定もせず、ただ気持ちに寄り添ってくれる人。どちらの決断をしたとしてもずっと見方でいてくれる人。
自分の意見をはっきり言ってくれる親や友人、恋人がよい?
ズバズバ意見を言ってくれる人は頼もしくてありがたい。道に迷ったらこっちがよいとはっきり言ってくれたらうれしい。
本当にそうだろうか。先にも言ったように自身の経験上、社会の常識上の正解かもしれないがやはり正しさの押し付け。今まで経験したことや家族構成、生活環境、性格は十人十色だから正解なんてない。
自分がどうしたいのか、どうしたら幸せを感じるのか。考える力を奪われていないだろうか?思考力ドロボウに惑わされてはいけない。自身の心に耳を傾けたら答えは出る。
大切なのは気づくこと、しっかりと自分のあしで立つ
想像してみてほしい。自分が出口の見えない暗闇にいるとして、となりにいる人
①こっちが出口だよ!と腕を引く人
②暗くて怖いよね、助けが来るまで一緒にここにいよう。という人
③あそこに光が見えるけど君はどう思う?という人